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古代への旅
 
 ――授業中継 エピソードでまなぶ日本の歴史@
原始・古代の32テーマについて、生徒の心をゆさぶるエピソードをそえて自在に語る歴史の授業講座。                     

著者=松井秀明
体裁=A5・304ページ
本体価格=2,200円
発行日=2009年3月20日
ISBN=978-4-88527-191-5
在庫=在庫あり
   
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目次

第1章 列島の夜明け

 1 湖底の「月と星」【日本の旧石器文化】
  人類のふるさと/ビタミン豊富なマンモス肉
  納豆売りの大発見/体全体の化石人骨
  ハイテク道具「細石刃」/石器ねつ造事件

 2 縄文クッキー【縄文文化・縄文人の生活】
  汽車の窓から/山のめぐみ/海と川のめぐみ
  世界最古の土器/黒潮の民

 3 障害者を介護した人びと【縄文時代の社会と信仰】
  野球場建設地から/みどり色の魅力
  快適な竪穴住居/母と赤ん坊の土偶
  か細い四肢/寒冷化のピーク

第2章 農耕社会と国家の誕生
 
 4 プロペラ工場の跡地から【稲作文化の導入】
  抜き取られたフィルム/一五○トンの籾
  ちいさな水田/スギ板の畦
  タコ漁の土器

 5 木の葉型の矢じり【弥生時代の社会変化】
  弥生時代ばかりの授業/生命力の赤
  豊作をはこぶ鳥/標高三五二メートルのムラ
  女性の戦死遺体/弓矢から原爆へ/貝の道

 6 運河の古代都市【小国の成立と邪馬台国】
  にごり水のきらめき/青銅器工房の跡/倭国大乱
  姿を見せない女王/巨大運河の遺跡

7 鉄と馬の王朝【前方後円墳の出現・大和政権の成立】
  箸墓伝説/同じ鋳型の鏡
  赤と白のモニュメント/金メッキの鎧甲
  吉備の大首長

 8 金と銀の鉄剣文字【ヤマト政権の発展と動揺】
  X線で読み解いた一一五文字/山川をかけめぐる
  石英を溶かした土器/はじめての漢字
  石人・石馬が物語ること/砂じん舞う

 9 火山灰に埋もれたムラ【ヤマト政権の政治制度
・・・ ・豪族と民衆の生活】
  黄泉(よみ)へのたび/U字型鉄製農具
  土石流に埋没したムラ/軽石に埋もれたムラ
  大王家のルーツ

第3章 律令国家の成立
  
 10 この世は仮のすがた【推古朝の政治】
  太子信仰/ヌルデの四天王像
  姿色端麗の推古/紫色の冠
  怒りをあらわすな/仏の教えが真実

 11 椎の葉に盛る飯【大化改新】
  そびえる八角楼閣/斑鳩宮の焼失
  雨の飛鳥板葺宮/郡評論争とは?/ひきむすぶ松

 12 水時計誕生【白村江の戦い・天智朝の政治】
  狂心(たぶれごころ)の渠(みぞ)/海水みな赤し
・・・さざなみの宮  失火の所多し

 13 神になった天皇【律令国家への道】
  袖ふるムラサキ野/つばさをつけたトラ
  赤い布の軍/北極星の称号
  かなめは軍事

 14 初夏の風吹く都【律令国家の完成】
  藤原京のトイレ/さいごに見る鴨
  突貫作業のすえに/金(かね)のなる木
  都の屎尿・ゴミ問題

 15 律令がうむ格差社会【律令のしくみ】
  アワビのウニあえ/給与は大リーガーなみ
  美しい娘/振りおろされるムチ
  つるばみの衣/フナを食べる女奴

 16 草汁の旅ごろも【律令体制下の農民負担】
  砂漠に臥す/海のむこうの口分田/水にもどす干飯
  結びあう下ひも/大地の裂け目に落ちる
  旅立つ想い/防人に行くのは誰?

 17 夜行貝のかがやき【平 城 京】
  平城宮への道しるべ/市の光と影
  道は奈良に通ず/漆紙文書
  馬毛の盾/スプーン工場

 18 魂は母国に帰る【遣 唐 使】
  日本人墓碑/白檀の香り/涙を流した清河
  魂は母国に帰る/十二弦の新羅琴

 19 菊花酒のオンザロック【奈良時代の政治 その一】
  デパート建設現場から/猛威をふるう天然痘
  光の仏像/布目瓦が物語ること
  飛焔空中に上る/人民辛苦す

 20 わすれがたみの音色【奈良時代の政治 その二】
  世界最古の印刷物/天と地の支配
  壮絶な死/別部穢麻呂

 21 部下へのレクイエム
・・・【民衆のたたかいと土地政策の転換】
  クモの巣はる甑/ちいさな抵抗
  糞置荘/七夕のうた

第4章 律令国家の展開と変質
  
 22 悪路王の首【平安遷都と律令制の再建】
  水の都/ハンガーストライキ
  北上川での遊撃戦/鎮守府遊び

 23 さくら彩る都【律令体制の再編成】
  ユングの曼荼羅/二所の朝廷
  合理的知識人/蝶舞う池

 24 飛び梅伝説【摂関政治の確立】
  逸勢(はやなり)とミカン/山びとたちの神
  剥落した絵の具/ご乱行の天皇
  星に似た梅の花/秋に思う詩

 25 目が見えぬ道長【摂関政治の全盛】
  ミルク好きの天皇/絹の白靴下
  雪の日の紅色単衣/人の顔も見えず
  宇治川の龍神

 26 チャイナタウン博多【東アジア状勢の変化】
  空輸されるイチゴ/石炭の威力
  仏像の五臓六腑/花崗岩の碇石

 27 くるみ酒をきらった信濃守【受領と田堵】
  池の魚をとりつくす/秋には万倍
  すさまじきもの/山犬・オオカミと同じ
  水に流れたサナダムシ

 28 春に敗れた将門【承平・天慶の乱】
  ビル街のミステリー/牧と鉄と…
  眉間にささる矢/首が空を飛んだ

第5章 中世社会の胎動

 29 岩盤をくり抜く用水路【荘園公領制】
  温暖化ではじまる開発/猫がこわい領主
  水はしたたりまで…/松明をはこぶ

 30 雨水の禁獄【院 政】
  鳥羽の作りみち/一国平均役
  亡きがらを抱く/夜の関白
  薙刀と御神体/漁師の網を焼け/七夕の死

 31 義家と納豆ロード【前九年合戦・後三年合戦】
  納豆伝説/異民族の来襲/みちのくのさくら
  符と白符/舌を切る

 32 海がささえた政権【保元・平治の乱、平氏政権】
・・潮の香りする神社/銀の木刀/勝敗を決した夜討ち
  井戸におぼれる女房たち/ハイテクな防波堤
  春の夜の夢
 
本書「余話」より

 
「貝の種類どれだけ知ってる?」(黒羽清隆『生活史でまなぶ日本の歴史』地歴社)という発問は、四月という新しいクラスで、かまえている生徒たちへの投げかけも教室の場がやわらぎます(順番にこたえさせても、八種類が限度でしょうか)。縄文時代ほど、植物・鉱物・動物の知識をためされる時代はありません。
 たとえば、貝ひとつとっても調べていくと深いものがあります。アサリ・シジミ・ハマグリといった最もポピュラーな貝さえ、全員の子どもが見分けられるか、うたがわしいのではないでしょうか。そういう意味では「貝類図鑑」はもちろん、海洋・水産学の学者白井祥平さんの『貝T〜V』(法政大学出版局)は手放せません。人と貝のかかわりの歴史の百科事典ともいえる本だからです。
 この中から「ハマグリ」をあつかったごく一部をノートしてみます。縄文時代には、調査対象の八三六カ所の貝塚のうち、ハマグリが出土したのは六五七カ所におよぶそうです(遠州灘〔太平洋〕と浜名湖という海辺の近くに住むわたしは、夏になると潮干狩りをします。獲れる貝はアサリですが、たまになめらかな表面で黒ムラサキのハマグリをみつけることがあります。日本近海では激減しています)。
 平安貴族の「貝合せ」(貝を二つに分け、合わさった貝を多くとる遊び)は、三重県桑名産のハマグリの貝殻がつかわれたそうです。桑名産は濃尾平野を形成する木曽・揖斐・長良川のデルタ地帯にあり遠浅の海岸にめぐまれていて古来からハマグリの産地でした。
 東海道桑名宿は、宮宿をむすぶ「七里の渡し」の対岸の宿。桑名藩の城下町でもあったため参勤交代の大名の宿泊地でした。有名な桑名の「焼き蛤」や「しぐれ煮」(むき身にサンショウ・ショウガと木くらげを加えて煮染めた佃煮)を好む大名が多かったとか。
 ハマグリでおなじみなのが「蛤御門(禁門)の変」という幕末の事件です。この門の名の由来は、一七八七(天明七)年の大火後の一七九○(寛政二)年にあらたに開かれた門という意味で、「焼けて口開く蛤御門」と京の人びとがはやしたてたことに始まります―さて、今日本人が食べているハマグリは、ごくわずかな熊本産をのぞき、朝鮮半島や中国近海のシナハマグリだそうです。それにしても、ミツバやユズを薬味にしたハマグリのすまし汁は美味しいですね。


 市民講座をしていると、わざわざ教材の提供をしてくれる方々がいます。今までにも古銭・満州鉄道の株券・生糸など様々なモノをいただき、その恩恵にあずかっています。
 黒曜石もその一つです。考古学に興味をもたれている受講生の方が長野県で採集したもので、袋いっぱいの黒曜石を持ってきてくれました。おかげで、旧石器・縄文時代はこの教材が大活躍をします。中でも表面が黒光りする黒曜石は、生徒たちにも人気があります。天然の火山ガラスともいえるこの石は、鉱物が結晶化する時間がないときにできます。生徒たちは石器というと、原始的なもの、稚拙なものとしてとらえます。しかし、先端がするどい刃先のようになった黒曜石を手にとれば、その切れ味がどれほどのものかがわかります。
 メキシコのメキシコシティから黒曜石のナイフ(一三二五〜一五二一年に製作)が発見されています。鉄の酸化鉱物がふくまれているため赤茶色で、魚のかたちに彫刻されています。黒曜石は今も、アメリカなどで手術用メスとして使われています。「外科用スチールメス」にくらべ、五○○倍シャープで、最後の分子部分まで破断できるそうです。したがって、黒曜石メスは、皮膚にわずかな傷しか残さず、とくに美容外科でよく使われます。


 登呂の発掘をした毎日新聞記者森豊は、その後砲兵として召集されます。肋膜(ろくまく)炎・気管支炎という持病があるため徴兵検査では丙種(へいしゅ)合格で第二国民兵でした。戦況はこうした兵を送らねばならぬほど悪化していたのです。最悪のことを考え、遺書を書いての出征でした。
 森は八月一五日を彼は福岡でむかえます。彼はその日のことを次のように記しています「物音ひとつ聞こえない山中に、夏の日の太陽がギラギラと照り白い積乱雲が湧いて空は青かった。…セミの声が山中にこだましていたのに気づいた」(森豊『「登呂」の記録』講談社)。―戦後ふたたび静岡支局に勤務した彼は、登呂の記事を発表しつづける一方発掘や、資金集めをし遺跡保存に尽力します。
 その後、古代文化研究家としても活躍した森は二○○一(平成一三)年一二月一一日、肺炎のため登呂遺跡ゆかりの地、静岡市で死去します。八四歳でした。
 わたしが、登呂遺跡にはじめて行ったのは、小学校六年生の修学旅行のときでした。そこの売店で土偶と埴輪のちいさなレプリカを買った記憶があります。弥生時代の遺跡だということを全く知らなかったのかもしれません。そして、はからずも三年前に行ったときも、授業での必要性から遮光土偶(しゃこうどぐう)のレプリカを買ってしまいました!?


 わたし達の学校の近くには、日本有数のトンボの楽園「桶ヶ谷(おけがや)」があります。今までに六五種のトンボが発見されています。中でも日本でも唯一といわれるベッコウトンボという珍しいトンボもいます。わたしも何度かおとずれていますが、沼のまわりを一周するだけで、真夏にはさまざまなトンボにめぐりあえます。胴体がかぼそいイトトンボは、青・赤・黄などさまざまな色があって優雅です。
 古来、日本ではトンボを「秋津」(アキツ)と呼び、日本列島を「秋津島(あきつしま)」とも呼びました。湖沼や川など水辺にめぐまれていたわが国では、それほどよくトンボが見られたといえるでしょう。「飛ぶ穂」がトンボの名のおこりとされます。「稲穂が飛んでいるように見える」という意味です。さらに、銅鐸にも描かれているようにトンボは稲作をおこなう人びとにとって身近な生物でした。
 その後、トンボは前にしか進まないことから、「勝ち虫」呼ばれ合戦の縁起物とされ、特に戦国武士に好まれました。冑や刀のツバ、印籠にも彫刻されました。徳川四天王(とくがわしてんのう)の一人本多忠勝(ほんだただかつ)は「蜻蛉切(とんぼぎり)」とよばれる長さ二丈(約六メートル)におよぶ長槍を愛用していました。トンボが穂先に止まったとたん、体が切断されたことに由来するそうです。「稲作から合戦の象徴」にかわっていったトンボは、稲作と戦争が始まった弥生時代を象徴する生きもののように思えてなりません。
 トンボの数が減少したのは、トンボの幼虫のヤゴが住む沼や小川がなくなり、水質が悪化しただけではありません。ヤゴを食べる外来種のアメリカザリガニが、繁殖しているためです。桶ヶ谷沼でも、「アメリカザリガニ」釣りなどのイベントを通して生態系を守っています。わたしはいつか、夕暮れどきにこの沼を飛来する胴がルリ色のマルタンヤンマを見たいと思っています。


 考古学者の本の中で佐原真の本ほど、魅了されたものはありません。戦争や食の考古学など、現代の問題とのつながりを重視したことも特徴のひとつでした。そして、それらをわかりやすい文体にのせて多くのファンを持ちました。
 若い頃、大変学術的な文を書いていた佐原を変えたのは、『伊丹市史』の体験。大学出たての女性から「先生、私がわからない、ということは、伊丹市民がわからない」という言葉だったそうです。佐原の「市民のための考古学」の精神はその後、本の叙述や講演の特徴になりました。
 むろん、わたしは授業にも彼の著作をおおいに活用してきました。数多い著作でベストワンを選ぶとしたら、『体系日本の歴史 1 日本人の誕生』(小学館)でしょうか。それ以外では「美術館へ行こう」のシリーズの一つ『大昔の美に想う』(新潮社)が好きです。肩の力を抜いてたのしみながら書いた仕上がりになっているからです。
 その中に「縄紋人の笑い・弥生人の笑い・古墳人の笑い」という一節があります。茨城県高萩市のから出土した埴輪を見ると、微笑ましくなるのはわたしだけではないでしょう―授業もしかめっつらでやってはいけません。先生が楽しそうだと、生徒達にもそれは伝わります。
 佐原は二○○二(平成一四)年七月一○日、膵臓ガンのため他界しました。病床で書かれ、おしくも絶筆となった『魏志倭人伝の考古学』(岩波現代文庫)は、考古学から周辺諸学の成果を吸収した名著です。そこからも、数多くの教材をひろうことができるでしょう。


 『筑後風土記』に次のようなことが書かれています。別区には、丸裸で地に伏している石人がおかれています。生前に猪を盗んだ罪人で、その傍らに盗んだ石猪が四頭置かれ、裁判の模様を表現しているというのです。
 この方形の広場に置かれた石人石馬は、磐井の政治的権力を誇示するために、現実の政庁の様子をミニチュア的に表現したものと考えられています。磐井の墓である岩戸山古墳の石製品の総数は一○○余点におよんでいます。種類は人物武装石人、裸体石人等の人物像、馬・鶏・水鳥・猪等の動物像、靱・盾・刀の武器などにわかれます。今、別区には、レプリカの石人・石馬が一列に並べられています。
 九州でおこった戦いは中央政府に大きな影響をあたえたものがすくなくありません。江戸時代の島原の乱・明治時代の西南戦争。そして、これらに共通していえることは戦いが鎮圧されたあと、より強い支配体制が生まれたということです。
 岩戸山古墳のある八女市は「八女茶」で有名ですね。地域の気象は内陸性が、日中の気温が高く、夜間に冷え込むという温度差。年間一六○○ミリ〜二四○○ミリという降雨量の多さが上質茶を育てています。八女茶は、鮮やかな緑色と濃い味が特徴です。ついでに、ひとこと―女優黒木瞳さんも八女市の出身です。
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