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「ネアンデルタール人の
心をのぞく」ほか24講


  
世界史との対話(上) 
   ――70時間の歴史批評――
 
2009年歴史学研究会大会で「苦役への道は世界史教師の善意でしきつめられている」と問題提起した著者が放つ注目の世界史講義録。時間と地域を縦横無尽に駆け巡る世界史との対話と批評24講を収録                   
著者=小川幸司
体裁=A5・336ページ
本体価格=2,500円
発行日=2011年12月15日
ISBN=978-4-88527-203-5
在庫=あり
   
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目次




はじめに
第1講 ネアンデルタール人の心をのぞく
   1.人類の誕生
   2.進化のコースを探す6
   3.ネアンデルタール人の心をのぞく
   4.ホモ・サピエンスの「文明」

第2講 「文明」の誕生を「地球」の上から眺めると3
   1.“宇宙の始まり”は見えるものだった
   2.地球と生命との「共進化」
   3.勝者と敗者8
   4.「農耕牧畜の開始」の意味を考える

第3講 ファラオの呪いの正体は
   1.ピラミッドの文明
   2.アメンヘテプ4世からツタンカーメンへ
   3.ツタンカーメン王墓の発見
   4.ファラオの呪い
   5.ツタンカーメンの財宝の行方

第4講 古代民主政をになった人々
   1.アテネ民主政の基礎
   2.エフィアルテスの改革とペリクレス時代1
   3.古代民主政の限界

第5講 ヘロドトスとトゥキュディデス
   1.「歴史の父」の実像を求めて
   2.「歴史の父」ヘロドトス
   3.ヘロドトスの描いたアケメネス朝ペルシア
   4.ヘロドトスの描いたペルシア戦争
   5.もう一人の「歴史の父」、トゥキュディデス
   6.アテネの帝国意識
・・・・7.“言葉の乱用”

第6講 『オイディプス王』のラストシーン
   1.ギリシア神話の宇宙論
   2.「水」から「ある」へ
   3.天上か地上か
   4.『オイディプス王』のラストシーン

第7講 ローマ皇帝たちの乱痴気
   1.「高貴なる者の義務」
   2.カエサルからアウグストゥスへ6
   3.ローマ皇帝の権力と富
   4.皇帝たちの乱痴気
   5.「愚帝」ネロ
   6.「愚帝」と私たち2

第8講 歴史のなかのイエスを探す
   1.歴史のなかのイエス
   2.新約聖書とは何か
   3.「マルコの福音書」のイエス
   4.イエスの処刑8
   5.裏切り者ユダ
   6.“強き者”にとってのキリスト教
   7.「カエサルのものはカエサルに」

第9講 「ローマの平和」とは何だったのか
   1.ドミティアヌスの「最後の晩餐」
   2.タキトゥスという歴史家
   3.歴史はどのように書かれるべきか
   4.『アグリコラ』を読む
   5.「ローマの平和」

第10講 ブッダの「犀の角」、ウパニシャッドの「心臓の光」
   1.古代インドの宇宙誕生神話
   2.ウパニシャッドの「心臓の光」
   3.“唯一なるもの”と不可触民
   4.ブッダの「犀の角」
   5.大乗仏教の展開

第11講 孔子の実像を求めて
   1.漢字が生まれた時代
   2.古代中国の「美」とは何か
   3.孔子はこのような人だった
   4.儒教の魅惑

第12講 始皇帝のスキャンダル
   1.法家思想による国家建設
   2.秦王政の人間不信
   3.始皇帝の誕生
   4.対外戦争と大土木事業
   5.秦王朝の落日

第13講 匈奴の国で生きる
   1.中央ユーラシアの草原ベルト地帯
   2.遊牧騎馬民の世界
   3.スキタイの黄金文化
   4.匈奴の台頭
   5.匈奴のなかの漢族たち
   6.ハイブリッド集団のゆくえ

第14講 司馬遷『史記』の沈黙
   1.武帝の匈奴攻撃
   2.李陵の投降
   3.司馬遷と李陵事件
   4.『史記』の構成
   5.『史記』の問いかけ
   6.司馬遷の沈黙

第15講 日本列島のなかの「日本」
   1.縄文時代から弥生時代へ
   2.「縄文人」と「弥生人」
   3.中国の冊封体制
   4.ヤマト政権と朝鮮半島
   5.厩戸王子の対隋外交
   6.「日本」・「天皇」の成立
   7.唐の冊封体制
・・・・8.複数の「日本」へのまなざし

第16講 杜甫の春
   1.唐王朝の建国
   2.「胡漢融合国家」としての唐王朝
   3.安史の乱
   4.「春望」への道
   5.杜甫の旅
   6.杜甫の春

第17講 敦煌石窟寺院の片隅で
   1.オアシスの道
   2.敦煌文献の発見
   3.井上靖の小説『敦煌』
   4.敦煌と莫高窟の1000年
   5.それでは誰が?

第18講 元寇は日本に何をもたらしたのか
   1.モンゴル軍の来襲
   2.モンゴル軍ふたたび
   3.日元貿易の発展
   4.モンゴル帝国の構造
   5.クビライの構想
   6.神国日本という想像力

第19講 『コーラン』に記された神の「徴」
   1.メッカ巡礼
   2.イスラームの誕生
   3.『コーラン』を読む
   4.イスラームの教義
   5.イスラーム国家への道
   6.諸文明の融合

第20講 イブン・ハルドゥーンの歴史理論を読む
   1.イブン・ハルドゥーンが生きた時代
   2.西方イスラーム世界にとっての「危機の時代」
   3.政治家としてのイブン・ハルドゥーン
   4.新しい学問の開拓
   5.『歴史序説』のテーマ
   6.『歴史序説』の意義

第21講 アフリカの無文字社会が歴史を伝える
   1.「太鼓言葉」で歴史を伝える
   2.マンサ・ムーサのメッカ巡礼
   3.「沈黙交易」
   4.アッバース朝の交易ネットワークと西アフリカ
   5.バオバブの記憶

第22講 「封建社会」はどのように研究されてきたのか
   1.アナール学派とマルク・ブロック
   2.暴力の時代
   3.生き抜くための人間関係〜「家族」の場合
   4.生き抜くための人間関係〜「王侯貴族」の場合
   5.双務的な関係
   6.ブロックのレジスタンス9

第23講 裁かれた動物たち
   1.死刑囚になったブタたち
   2.裁かれた虫たち
   3.革新の時代
   4.ハーメルンの笛吹き男
   5.ハーメルンからみた中世ヨーロッパ

第24講 ジャンヌ・ダルクと百年戦争
   1.「聖女」になったジャンヌ
   2.後期ヨーロッパ中世の人々の心性
   3.百年戦争の構図
   4.ジャンヌ・ダルクの登場

補 論 世界史教育のありかたを考える
    ―苦役への道は世界史教師の善意でしきつめられている―
   1.嫌われる“暗記地獄”としての高校世界史
   2.戦後「社会科」のなかの高校世界史
   3.世界史教育論をくみたてる

あとがき
                   
 
上巻「はじめに」より

 本書は、私が22年間にわたって長野県の高等学校と市民講座で世界史を教えてきた講義録をまとめたものである。
 読者として想定しているのは、世界史に興味をもつすべての皆さんである。教員や高校生にとどまらず、世界史をもう一歩深く学んでみたいという方々に、瑣末事項を暗記させられる世界史ではなく、その内容と「対話」できるような世界史を届けたいと思い、本書を出版することにした。
 私が考える世界史は、時間軸では、「宇宙の誕生」から始まり、自分が生きている「いま、ここ」を終点とする。そして空間軸においては、ヨーロッパやアジア、アフリカ、アメリカなどを広く見渡しながら、私たちが生きる「日本列島」を必ず視野のなかに入れる。「日本列島」と呼ぶのは、歴史的にみたときに、多様な民族や多様な国家がここに展開したこの地域を、「日本」という一色で塗ってしまうのは正しくないと思うからである。ただしすべての時代と地域を網羅しているわけではない。現在の高校世界史は、中途半端な網羅主義である。網羅主義はそもそも不可能なことだと私は考えている。
 本書は、70回分の講義とひとつの補論から成り立っている。現在の高校の学習指導要領では、世界史が必修になっており、最低限これを学ぶとなると「世界史A」という科目を週二時間学ばねばならない。それは70回の世界史の授業を受けることを意味する。また、次回の学習指導要領の改訂のさいに、「歴史基礎」を必修科目として新設すべきだという、歴史家たちの主張がある。「歴史基礎」であっても年間70回の授業となる。70回という時間が与えられるならば、私はこのような講義をするという意味をこめたつもりである。
 補論は、2009年度の歴史学研究会大会の特設部会「社会科世界史60年」で報告し、『歴史学研究』2009年10月増刊号に収録された論文である。大会報告の題名は意図的に“刺激的な”ものにしたため、本書では「世界史教育のありかたを考える」という“静かな”タイトルにし、報告時の「苦役への道は世界史教師によってしきつめられている」は副題にした。私の世界史教育についての問題意識を述べたものであり、反響をいただいた文章なので、本書におさめることにした。もし教育という立場から、本書を手にされた方は、補論から読んでいただくのがよいかと思う。
 本書は分量の関係で三巻構成にすることにした。上巻は、第1講の人類の誕生に関する講義から第24講のジャンヌ・ダルク論までで、主として古代・中世にかかわる講義とし、あわせて補論を収録した。中巻は、第25講のスコラ哲学に関する講義から第47講のオーストリア帝国の民族問題を扱った講義までを収録する。主に近世・近代についての講義である。スコラ哲学は中世文化ではないのかとおっしゃる方もいるだろうが、私は近代哲学の端緒としてスコラ哲学の唯名論をとらえているからである。下巻は、第48講のドーデの「最後の授業」をめぐって国民の根拠を考える講義から始まり、チェルノブイリ原子力発電所事故をめぐる第70講でしめくくられる。近代・現代に焦点をあてた講義である。
 最優先にしたのは、読者に70回分の世界史の講義を面白く読んでもらうという“書物”としての価値である。当然ながら各回ともに講義ノートに大幅な加筆をしている。長野県の高校での私は、週に3〜4時間も世界史の授業ができるので、本書1回分の内容を講義するのに、2〜3時間もかけることは珍しくない。読んでいただければおわかりになると思うが、各回の内容は時間と地域を縦横無尽に駆け巡っている。たとえば、第3講の「ファラオの呪いの正体は」は、古代エジプト文明の歴史から始まり、後半は、ツタンカーメンの呪いの正体を求めて、20世紀初頭、エジプトのワフド党の民族運動に飛ぶ。実際の高校における私の授業は、古代エジプト文明の授業ではツタンカーメンの呪いの噂話にとどめ、その正体の解明は、20世紀のアジア・アフリカの民族運動のところで行う。「以前に勉強したツタンカーメンの話が、今日のワフド党の授業につながるんだけどね…」という具合である。私の授業は、よく言えば“アラベスク”、悪く言えば“迷路”なのである。しかし本書は、“書物”であるから、迷路をなるべく整理して、各回に完結性を持たせたつもりである。参考のために、各回の講義が世界史教科書のどの部分に関連しているかということを示す対照表を、目次のところにかかげておく。
 本書の内容は、私が世界史とどのように「対話」をしているかというものだから、教科書の内容を解説した参考書の類ではない。逆にいえば、じっさいの私の授業は、ときに教科書を読み、ときに図説を読み、“ふつうの歴史の解説”をしたうえで、本書の内容である世界史との「対話」をしている。本書をそのまま読み上げて授業をしているわけではない。けれども本書の読者は、世界史の予備知識がなくても、教科書などを紐とかなくても、世界史との「対話」に参加できるはずである。網羅的な知識がなければ世界史がわからないというのは謬見である。
 さて、私の世界史講義で心がけていることを述べておきたい。
 まず何といっても、世界史の「知」の三層構造が見えるようにするということだ。第一の基層には、何年にどのようなことが起こったかという「事件・事実」の列挙がある。これは動かせない事実である。第二に、その事件・事実を前にして、どのような歴史の論理がよみとれるかという「解釈」の層がある。これは見る人によって当然ながら異なる見解が出て来よう。しかし、“事実立脚性”と“論理整合性”において、私の解釈する論理が今のところ最も適切な論理なのではないかというふうに提示し、聞き手からの反証(対話)にさらされればよいのである。反証にさらされるように提示することが、世界史が「人文科学」たりうる要件である。
 多くの高校世界史教科書の記述は、第一の層に集中しながら、ときどき第二の層にふれるといった程度のものである。第二の層についても断定調や断片的論理にすぎなければ、それはおよそ「人文科学」にはふさわしくない。私は本書の中で、ある見方が何という研究者によってどのように考えられた結果であるかということに、かなりこだわっている。そして、その分野を研究するためには、どのような言語を習得すべきなのかということにも、ときにこだわっている。自分自身で原典にあたったこともある。引用文献を参照ページまで含めて明示している。それは聞き手が反証できるように講義をすることが学問のマナーであることを、聞き手に示したいからである。そして、普段の聞き手である生徒諸君がのちに興味を持って深く学びたいと思ったときのチャートを提示するためである。
 高校の世界史教育には以上に加えて、第三層が必要であると、私は考えている。それは、歴史を素材にして人間のありかたや政治のありかた、ひいては自分の生き方について「歴史批評」をおこなう、という「知」のいとなみである。今日のこの授業で学んだ「事実」と「解釈」が、自分自身にとってどのような意味があるのかということを問うのである。ときにそれは哲学であり、文学でもありうる。かつて戦前の日本において、国家主義の立場が「歴史批評」で世界史を裁断したとき、皇国史観という事実とかけ離れた妄想のようなものを日本国民に強要することになった。そうした過去の教訓から、世界史を講義する者は、主観的な「歴史批評」には禁欲的であるべきだと私に反論する方々もいる。しかしそれでも私は、研究者ではない一般市民が世界史を“面白い”と思う瞬間は、「歴史批評」をするときなのであり、広く一般市民に向けた世界史講義においては「歴史批評」がないと画竜点睛を欠くことになると考えている。「歴史批評」が劣悪な妄想に陥らないためには、第一層と第二層において「人文科学」のルールを外さないような地道な努力をすればよいのである。
 本書は、私の「歴史批評」の試みである。

 私が勤務してきた高等学校には、クラスの全員が四年制大学に進学する学校もあれば、どちらかと言うと地域で勉強が苦手な子が集まる学校もあれば、その中間の学校もあった。ただ、私が身をもって学んだことは、進学校か否かで授業のレベルを変えることは、高校生たちに失礼であるということだった。自分がしっかり調べて、しっかり考えたことならば、進学校であろうとなかろうと、高校生たちは真正面から受け止めてくれ、「先生の授業は面白かった」と言ってくれるのである。進学校でしか通用しない授業というのは、所詮は表面的な内容なのだ。同じことは、私が長く続けてきたNHK文化センター松本教室での市民講座にも言えた。60名あまりの聴講生のなかには、ときに学校の先生もいれば、世界史を学んだことのない方々もいらっしゃる。でも皆さんがそれなりに満足してくださるから、10年以上も講義を続けてこられたのであろう。どんな聞き手にも自分ができうる精一杯の勉強成果を届けること、これが私の信条である。
 “精一杯”とは、安易な情報(それは歴史に関する真偽のほどのわからぬゴシップだったり、きちんとした学問的手続きをふまない概説書だったりする)に頼るのではなく、歴史学の成果に学び続けるということだ。生活指導が度重なって、一年間に百日以上家庭訪問するような歳月があっても、演劇クラブの指導で関東大会を勝ち抜くことを目指して狂ったように演劇にのめりこんでも、今、自分が読むべき歴史学の研究書は何なのだろうかという切迫観念が消えたことはない。
 私が大学で歴史学の手ほどきを受けた西川正雄・遅塚忠躬両先生は、もはやこの世にいない。労働者インターナショナルの研究において世界の最先端を牽引するとともに、日本の世界史研究の基礎となる事典・史料集を編集する陣頭指揮をとられた西川先生の厳格で緻密きわまる学問のスタイルは、今も私の憧れである。学生に厳しい先生であったから、学部で先生のゼミを受講する学生は少なかった。時には一対一の状態になることもしばしばだった。そのようなとき、先生はドイツ語の講読を休憩して学問談義をしてくれるので、私はそれがとても楽しみだった。「目の前の山々を越えようと思ったら、いつでもその頂の一番高いところで越えるべきなんです」という西川先生のつぶやきが聞けたのは、そんな一対一の授業のひとこまであった。「大学院に進んだらどうですか」という励ましの言葉を先生からいただきながら、高校の教員の道を選んだ不出来な私に、先生はずっと書いたものすべてを送り続けてくださった。教え子とのつきあい方そのものを、私は先生から学んだ。ある書物を読むとき、その書物の一番高いところを理解することが、本書を書きながら、つねに意識したことである。本書がどうしてもヨーロッパ史、とくにドイツ史の内容に偏重しているのは、私の学問遍歴の避けられない背景にある。
 もうひとりの恩師、遅塚忠躬先生は、先生が長くかかわってこられた実教出版の教科書の編修に私を誘ってくださった。編修会議において、多くの研究者の方々から第一線の歴史の見方について教えていただいたことが、本書の土台を形成している。今の教科書の近代ヨーロッパ史の部分は、私の一次原稿を遅塚先生が原型をとどめないほど手を入れた二次原稿にすることによって完成したものである。正月に松本の浅間温泉の旅館に“合宿”と称して泊りこみ、先生が私の原稿に目をとおすのだが、しばらくの沈黙の時間がおとずれ、先生の指のあいだから何本かの煙草の煙が天井に吸い込まれていくのを私が見ていると、突然、せきをきったように先生が語り出すのである。句読点の位置まですべて指定して語る先生のことばを、私が必死でパソコンに打ち込むと、もうそれは、岩波ジュニア新書のベストセラー『フランス革命』と同様の、端正で明晰、かつリズミカルな、そして推敲の必要のない文章になっているのだった。私は唖然とするしかなかった。
 世界史が「人文科学」でありうるための“作法”といったもの、そして世界史を叙述するさいの“文体”の大切さについて、私が二人の恩師から学んだことは、限りなく大きい。
 以上のような問題関心と学問経験によって本書は生まれた。

 それでは、世界史の講義を始めることにしよう。
どうか読者の皆さんが“アラベスク”のような世界史の旅を満喫されますように…。
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