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近世から近代にかけての
考える世界史23講


  
世界史との対話(中) 
   ――70時間の歴史批評――
 
歴史批評とは歴史を素材に人間のあり方、自己の生き方を考える知の営みである。本巻で著者は、上巻からさらに踏み込んで歴史の中の人間の生活・思想・論理の形成を捉え直し、現代に生きる批評を展開する。                  
著者=小川幸司
体裁=A5・384ページ
本体価格=2,500円
発行日=2012年9月10日
ISBN=978-4-88527-209-7
在庫=あり
   
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目次




はじめに

第25講 ジュリエットのスコラ哲学

   1.過去と現在の架け橋

   2.スコラ哲学の「普遍論争」

   3.オッカムからシェイクスピアへ


第26講 レオナルド・ダ・ヴィンチのまなざし

   1.伝記作家ヴァザーリのみたダ・ヴィンチ

   2.ヴィンチ村からフィレンツェへ

   3.「最後の晩餐」

   4.「モナ・リザ」

   5.二つのまなざし


第27講 『ハムレット』、記憶の政治学

   1.イングランドの絶対王政

   2.エリザベス時代

   3.劇作家シェイクスピアとエリザベス時代のイギリス

   4.『ハムレット』の誕生

   5.ハムレットの“沈黙”


第28講 東南アジアからみた「大航海時代」

   1.私の教科書執筆の“失敗”

   2.「海の道」と東南アジアの「港市国家」

   3.モンゴル帝国と「第一次大交易時代」

   4.「第二次大交易時代」の幕開け

   5.ポルトガルのアジアへの参入

   6.「第二次大交易時代」の「南蛮貿易」


第29講 インディオからみた「大航海時代」

   1.イベリア半島のレコンキスタ

   2.1492年の意味

   3.コロンのアメリカ到達

   4.インカ帝国の落日

   5.インディアスの聖職者たち

   6.権力が消せない“想像力”


第30講 ルターがいだいた恐怖

   1.ルターの軌跡をさがして

   2.神とルター

   3.宗教改革と主権国家

   4.宗教改革とメディア革命

   5.宗教改革と資本主義


第31講 唯名論のなかからリヴァイアサンが立ち上がる

   1.唯名論の恋人たち

   2.主権国家の誕生

   3.「財政・軍事国家」の端緒としての「イギリス革命」

   4.ホッブズとピューリタン革命

   5.『リヴァイアサン』における唯名論

   6.『リヴァイアサン』における主権国家

   7.現代のリヴァイアサン


第32講 赤ずきんちゃん気をつけて

   1.本当の「赤ずきん」

   2.狼の正体は何か

   3.近世ヨーロッパの“子ども”

   4.「赤ずきん」の成立

   5.グリム兄弟にとっての「赤ずきん」


第33講 パスカル『パンセ』の問いかけ

   1.天才自然科学者としてのパスカル

   2.パスカルの「回心」

   3.『パンセ』の出版

   4.「狂気」にとらわれた人間

   5.学問の意味

   6.生きることの意味


第34講 天才モーツァルトの素顔

   1.「神聖ローマ帝国」という不思議な存在

   2.「汝はただ結婚せよ」

   3.マリア・テレジアとヨーゼフ2世

   4.「死とはモーツァルトが聴けなくなることだ」

   5.モーツァルトの死因は何か

   6.モーツァルトの「長く辛い労苦の結実」


第35講 フェルメールをさがして

   1.若きオランダ

   2.オランダの市民文化

   3.デルフトのフェルメール

   4.オランダの危機とフェルメール


第36講 オスマン帝国の栄光と黄昏

   1.コンスタンティノープルの帝国への道

   2.スレイマン1世の時代

   3.「帝国」について考える

   4.ボスニアの民族対立


第37講 明・清の皇帝専制と民衆

   1.明の建国と朱元璋の専制

   2.人格が最高に優越している皇帝

   3.皇帝権力と民衆

   4.大清帝国の台頭

   5.完璧主義者の皇帝の遺産

   6.完璧な専制権力と“自由”な民衆


第38講 日本列島の「近世」

   1.戦国時代で争っていたのは誰か

   2.戦国時代の「国家」と奴隷

   3.豊臣秀吉の天下統一

   4.バテレン追放令と朝鮮侵略

   5.天下統一の「外」で

   6.「鎖国」体制下の日本


第39講 「第二次大交易時代」の行方

   1.オランダの「第二次大交易時代」への参入

   2.オランダの世界商業の衰退

   3.「伝統社会」の誕生

   4.「第二次大交易時代」のあとのアジア海域

   5.アジアに進出するイギリスの苦悩


第40講 産業革命から「帝国」へ

   1.イギリスと北米植民地

   2.「大西洋経済」の成立

   3.イギリスの産業革命

   4.産業革命の社会風景

   5.ジェントルマン資本主義

   6.産業革命から「帝国」へ


第41講 ジェファソン大統領と黒人奴隷

   1.アメリカ独立戦争の勃発

   2.「理念の共和国」

   3.独立宣言から削除されたジェファソンの文章

   4.『ヴァージニア覚え書』の黒人奴隷制批判

   5.ジェファソンとサリー


第42講 正義のための恐怖政治

   1.「貴族の革命」、「ブルジョワの革命」、「農民と民衆の革命」

   2.1789年の人権宣言

   3.人権宣言の光と影

   4.革命の危機と山岳派独裁

   5.ロベスピエールの正義

   6.恐怖政治

   7.徳と恐怖


第43講 オランプ・ド・グージュの『女の人権宣言』

   1.「人間」に「女性」は含まれるか

   2.劇作家オランプ・ド・グージュ

   3.「女性の人権宣言」

   4.グージュと恐怖政治


第44講 ナポレオン・ボナパルトの孤独

   1.フランス革命とナポレオン

   2.ナポレオンの栄光と孤独

   3.ナポレオンが信じたもの

   4.剣と精神


第45講 「不思議の国のアリス」と「切り裂きジャック」

   1.深い穴のなかへ

   2.「切り裂きジャック」事件

   3.ヴィクトリア時代と「近代家族」の成立

   4.ルイス・キャロルの逃避行


第46講 鉄血宰相ビスマルクと近代日本

   1.岩倉使節団、横浜を出発す

   2.岩倉使節団、アメリカ、イギリス、フランスへ

   3.プロイセンの「三月革命」とユンカー

   4.「鉄血宰相」ビスマルク

   5.ビスマルクと岩倉使節団


第47講 宮廷生活を嫌ったオーストリア皇后

   1.フランス革命から三月革命へ

   2.オーストリアの三月革命

   3.皇帝フランツ・ヨーゼフと妃エリーザベト

   4.カフカの文学

   5.ハプスブルク家の落日

   6.もうひとりの「エリーザベト」

                   
 
中巻「はじめに」より

 本書は、私が22年間にわたって長野県の高等学校と市民講座で世界史を教えてきた講義録をまとめたものである。読者として想定しているのは、教員、高校生、および世界史に興味をもつすべての皆さんである。
 副題の「歴史批評」とは、歴史を素材にして人間のありかたや政治のありかた、ひいては自分の生き方について考える、「知」のいとなみである。今日のこの授業で学んだ、歴史の「事実」と「解釈」が、自分自身にとってどのような意味があるのかと問うことを、私は普段の授業で心がけてきた。
 中巻では、近世から近代にかけての世界史について考える。最初の第25講「ジュリエットのスコラ哲学」は、ヨーロッパのスコラ哲学のなかに近世哲学の端緒を見出す試みである。最後の第47講「宮廷生活を嫌ったオーストリア皇后」では、オーストリアにスポットをあてながら、第一次世界大戦・第二次世界大戦までを展望する。
 中巻の各講義は、大きく三つのタイプに分かれる。一つは、ある人物の伝記や業績にこだわった講義である。ルター、パスカル、モーツァルト、ジェファソン、ナポレオンなど、その人物の生き方や思想・作品について「歴史批評」を試みている。二つ目は、人間の生活のありかたにこだわった講義である。いわゆる「社会史」の研究成果に学びながら、近世の子ども観とか、近代家族の誕生とか、私たちのジェンダー観を再考しようとしている。三つ目は、世界史の事実と事実のあいだの関係の解釈にこだわった講義である。大航海時代とアジアの関係、アジアの近世、オスマン帝国の民族統合、中国の皇帝権力と民衆など、どちらかと言えば、アジア史を中心に世界史の論理の再構築を目指している。
 本書の方針や、私の授業づくりの工夫については、上巻の「はじめに」と「補論」で述べたので、ここでは繰り返さない。ただ中巻と特に関係して、私が授業づくりのときに留意していることを述べておきたい。
 第一に、単純な「覇権史観」に陥らないようにしている。いわゆる「大航海時代」が「世界の一体化」の端緒であり、その覇権がスペイン・ポルトガルからオランダ、イギリス、アメリカと変遷したというような見方を、私はとらない。世界の地域と地域のつながりはそのような単純なものではなかったからであり、同時に、「覇権史観」で物事を単純化する人間は、現実においても(アメリカのような)覇権に頼る思考をしがちになると考えるからである。複雑な世界史を、複雑なまま、理解することに心がけることが、大切なのではないだろうか。
 第二に、どこかある国の歴史や、どれかの思想・宗教などをモデルとして、それをものさしに他の歴史を分析するような「ものさし史観」に陥らないようにしている。ヨーロッパにも、中東にも、東南アジアにも、東アジアにも、それぞれの国家や社会に学ぶべき点があり、同時に批判的にとらえるべき欠点がある。自虐とか他虐とかいう問題ではなく、歴史の事象のなかのプラス、マイナスを冷静に分析できるようなまなざしを目指したい。「ものさし史観」を戒めているということは、発展段階論に立たないということも意味している。
 第三に、「理念と現実の一体視」をしないように心がけている。国民主権とか基本的人権の尊重といった“普遍的価値”がいかに実現されてきたかということをたどるのが、高校世界史の大きな目的の一つであることは言うまでもない。しかしだからといって、しばしば言われるような、歴史の主人公が「民衆」であり、「民衆」の側から歴史を見るべきだ、ということを私は簡単に言うことはできない。世界史のいたる場面で、「民衆」という概念で表現される人々は、しばしばその内部が様々な職業・民族・立場にわかれており、しばしば相互に対立し、しばしば支配・被支配の重層構造をもってきたと言わざるをえないからである。「民衆」なるものを抽象的にとりだして、それだけを美化するわけにはいかない。もちろん被抑圧者が“普遍的価値”の実現に大きな役割を果たしてきたことは、いくら強調しすぎてもしすぎることはない。しかし同時に、被抑圧者がいかに戦争に協力し、いかに他者を傷つけてきたかということも、視野に入れておかねばならない。理念と現実をつねに峻別することが必要な所以である。
 そんなにすべてを疑って何が残るのか…と訝られるかもしれない。それでいい。学問とは疑うことである。歴史学とは、個々の事例から、一般理論に疑いの目を向けることである。それは高校の世界史でも同じことではないだろうか。世界史を学ぶとは、細かな事件や人名を暗記することではない。膨大な事実のあいだを綱渡りしながら、そこから何かの意味を読み取る。その意味から既成の世界観を批判的に吟味し、自分の世界観を鍛え上げていく…それが、世界史という学問なのではないだろうか。
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