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歴史を再現
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世界史授業ライブD
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「編年体の覚える世界史」から「紀伝体の楽しくわかる世界史」へ。19〜20世紀の世界戦争に向かう時代を生きた人々からいま何を学ぶべきか、生徒に身近なエピソード・トリビアを豊富に交えて語り下す。                   
著者=河原孝哲
体裁=A5・208ページ
本体価格=2,000円
発売日=2015年3月28日
ISBN=978-4-88527-224-0
在庫=あり
   
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目次


はじめに

  101 ≫ ドイツの統一とビスマルク 
     ―競争相手をブッつぶして、統一! アーンド近代化だっ!!

  102 ≫ ビスマルクの内政と外政 
     ―統一に成功したビスマルク、とたんにラヴ&ピースに豹変

  103 ≫ 三国同盟と北欧史そして国際運動
     ―ビスマルクのエゴイズムと世界愛の対比がツボ

  104 ≫ アメリカ合衆国の領土拡大 
     ―教科書のアメリカ地図をドンドン使いまくるべし

  105 ≫ 南北戦争と合衆国の重工業化 
     ―工業国アメリカ誕生の苦しみの姿

  106 ≫ 19世紀欧米の文化 T 
     ―芸術分野はやはりロマン派中心。でも全部の説明は無理です

  107 ≫ 19世紀欧米の文化 U 
    ―哲学史と科学史がやっかい。探検やら都市論も扱います

  108 ≫ オスマン帝国の動揺と西アジアの変容 
     ―「帝国」であったが故の弱み

  109 ≫ 西アジアとインドの変容 
     ―イギリス東インド会社の「強欲」の勝利と征服

  110 ≫ インド大反乱とインド帝国の成立 
     ―楽をしてもうけようとするとバチがあたる話

  111 ≫ 東南アジアの植民地化 
     ―有利な海峡を早くぶんどり、港を手に入れるのが西欧のねらい

  112 ≫ 19世紀のベトナム・タイ・清 
     ―欧米への対応で国の運命が変わってしまう

  113 ≫ アヘン戦争とアロー戦争 
     ―麻薬の知識がやはり必要となります

  114 ≫ ロシアの中国進出と太平天国の乱 
     ―ロシアの中国進出はその「目的」に注意すべし

  115 ≫ 同治中興と明治維新 
     ―はたして成功か、失敗か…それが問題だ

  116 ≫ 中国と朝鮮王朝の変化 
     ―世紀末の朝鮮史はお家騒動の面で見たほうがわかりやすい

  117 ≫ 近代のまとめと帝国主義 
     ―「近世」、「近代」、「帝国主義」。うーん、定義が難しい!

  118 ≫「帝国」とイギリス 
     ―「帝国」は覇権を広げる力、「帝国主義」は植民地がカギ

  119 ≫ 19世紀末のフランスとドイツ 
     ―ヤマは「ドレフュス事件」と「ビスマルク退場」です

  120 ≫ 革命前夜のロシア
     ―20世紀に入ったとたん、「党派」の名前だらけで整理が大変

  121 ≫ 19〜20世紀のアメリカ 
     ―フロンティアの消滅と、海外への帝国主義的進出

  122 ≫ アフリカの植民地化 
     ―アフリカ獲得は早いもの勝ちのビーチ・フラッグス競争

  123 ≫ 太平洋地域の分割とメキシコ革命 
     ―帝国主義への対抗の動き

  124 ≫ 三国同盟V.S三国協商そして中国分割 
     ―「番長決戦」と地球の裏側の縄張り争い

  125 ≫ 戊戌の変法と義和団事件 
     ―中国の国民意識の目覚めと出発への苦闘
 
第D巻まえがきより

 「長い19世紀」の後半を扱うD巻の主要なテーマは「戦争」です。そのほとんどは国家統一のための内戦か、帝国主義的な拡張戦争です。年代順に言うと「アヘン戦争」→「アロー戦争」→「南北戦争」→「戊辰戦争」→「普仏戦争」→「清仏戦争」→「日清戦争」となります。 
  このような列強の帝国主義的進出に対抗する「周辺」地域の反発も重要な事件です。これも年代順に並べると「太平天国の乱」→「インド大反乱」→「甲午農民戦争」→「アドワの戦い」→「ブール戦争」→「義和団の乱」となります。帝国主義的進出の強大化を反映して、1890年以降に頻発します。
 ところがヨーロッパ内部では19世紀後半ではクリミア戦争や統一戦争以外は大きな列強間戦争がおこなわれていません。おそらくそれは戦争防止のための「勢力均衡」が意識的に行われていたためだと思います。
  その「勢力均衡」体制の基本を作った人物が、かのオーストリアの宰相メッテルニヒです。保守反動の見本にして革命の弾圧者、「ワルの親玉」として世界史で扱われているメッテルニヒが、実は平和のヒーローとは!?
 しかしメッテルニヒがウィーン会議で作り上げた勢力均衡のシステムこそ百年のヨーロッパの太平を作り上げた原動力となったのは確かです。
 「ある国が強大な覇権を握ると、戦争がおこりやすくなる」を歴史法則としてとらえたメッテルニヒはプロイセンの野望を封じ、ロシアの拡張と南下を巧みに抑え、その一方でナポレオン敗北後のフランスにも立つ瀬を与えるなど各国の勢力均衡に見事な仕切りを示しています。そして二月革命によって亡命した後のメッテルニヒに面会したディズレーリやビスマルクは、「メッテルニヒ学校」の生徒としてメッテルニヒの勢力均衡の教えを学びます。
  この二人の大政治家が後にベルリン会議等でヨーロッパの勢力均衡の立役者となることはC巻や本巻で示したとおりです。少なくともこの二人が生きている間は、ヨーロッパは多少のトラブルが起きても安泰でした。
  ディズレーリとビスマルクの死後、ヨーロッパの勢力均衡は急速に崩れてしまい、ヴィルヘルム2世の「世界政策」によって世界は新たな緊張にさらされることになります。この「世紀末」の時期に、ヨーロッパ文化が成熟していくのです。「不安」は文化を熟成させるのでしょうか。
  第一次世界大戦の破滅の後にヨーロッパの融和と勢力均衡を心がけたのはドイツの首相・外相であったグスタフ=シュトレーゼマンでした。彼が長生きしていたらヒトラーは政権を奪取することはできなかったでしょう。
 
  第二次世界大戦後は国連体制となり、新たに始まった東側・西側の勢力均衡はヨーロッパに限らず全世界が対象になります。なにしろICBM一発で世界が崩壊する時代になってしまったのですから。世界の勢力均衡を目指した政治家の筆頭はアメリカ国務長官・補佐官であったキッシンジャーです。キッシンジャーはニンジャ外交と呼ばれる機動力を駆使して世界各国の調整にあたりましたが、そのキッシンジャーの研究対象が実はメッテルニヒの外交だったのです。
  1991年ソ連が崩壊した後、世界は歪みを見せてきます。「湾岸戦争(1991年)」、「同時多発テロ」に続く「アフガニスタン戦争(2001年)」、「イラク戦争(2003年)」、「リビア内戦(2011年)」、「シリア内戦(2013年)」…現代世界は今も戦争と混沌の中にあります。
(後略)
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